こんにちは。司法書士の片岡和子です。
写真はサフィニアです。
去年の初夏に苗を購入して植えて、夏から秋にかけて真っ赤な花をたくさん咲かせてくれました。
秋も遅い時期になって花もつかなくなり、そろそろ終わりかなあ、と思ったけど、根元に小さな芽が残ってて。
もしかして冬越しできるかな?
と欲が出て、そのままにしてあったのですが、年が明けても生き残ってます。
ホントに冬越しできるかも。楽しみです。
さて、今日は遺言のお話なのですが、最初に結論から書いてしまいましょう。
そもそも「遺言」は、ご本人の最終意思を実現するためのものです。
ご本人以外の人間が、あれこれ口をはさむ筋合いのものではありません。
ですから、「親に遺言を書かせたいんです」という発言そのものがナンセンス。意味をなさないのです。
個人の財産は個人のもの。
生きている間に財産をどのように使うかは、基本的に個人の自由です。
死んでしまったら「自由」はなくなりますが、「遺言」という形で最終意思を示しておくことで、「個人の自由」の効果を死後にも及ぼすことが可能になります。(何でもかんでも可能なのではなく、制約はありますが。)
「遺言を書くかどうか」もまた自由です。
遺言しない自由だってあるのです。
ここまでが「そもそも」のお話です。
それを踏まえた上で、もう少し先を考えてみましょう。
遺言をするかどうかはご本人の自由、遺言するにしても、その内容はご本人の自由。
にもかかわらず、「親に遺言を書かせるには?」という相談がなくなることはありません。
個人の自由であるはずの「遺言」に関して外野が口出しをする、という不作法が巷で横行しているワケなのですが、この行動に何かしら大義名分があるとすれば、「将来の紛争を回避するため」だろうと思います。
確かに、相続に関する相談を受けていて、「遺言を残しておいてくれればなあ・・・」と感じることはとても多いです。実に多いです。
けれど、これは、「ご本人が自ら考えて遺言しておいてくれればよかった・・・」という意味であって、「周囲がご本人を説得して遺言をさせればよかったのですよ。」という意味ではありません。
外野は遺言の「い」の字も口にしてはならない、とまでは言いません。
ご本人が、自分の死後の紛争を予期して、「何とかしたいけれど、いったいどうすれば?」と悩んでいる場合に、遺言という「手段」があることを助言するのは間違ったことではないでしょう。
けれど、往々にして、その助言は「遺言で○○しておくべきである」といった、「内容」に踏み込んだものとなってしまいます。
するとどうなるか。
ご本人が亡くなった後に、遺言の内容を巡って結局はモメることになってしまいます。
「親父が生前言っていたことと全然違う!おかしい!」
「遺言を書いた時は既に認知症になってたのでは?」
「兄貴が親父に無理やり遺言を書かせたんだろう!」
といった騒ぎになってしまうのです。
紛争回避のために作成した(作成してもらった?)はずの遺言が紛争の種になってしまう、という展開です。
結局のところ、どうすればいいのか?
明確な答えはありませんが、そもそも「遺言は本人自らがするものである」ということをしっかりと理解して、ここから踏み外さない事が大切なのだと思います。
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