こんにちは。司法書士の片岡和子です。
写真の細い路地、ちょっと昭和っぽい雰囲気でしょ。
実はここ、東急東横線・大井町線の自由が丘駅のすぐ近くなのです。
「オシャレな街」のイメージとはちょっと違うでしょ?
自由が丘駅前のこのエリアは大規模再開発の対象となってます。
来年になると取り壊しが始まるようです。
なので、記録として残しておこうと思った次第。
さて。
このところブログの更新が滞ってます。
忙しいのもあるのだけれど、それだけじゃなくて。
書いて何になる? と思うことが多いのです。
成年後見関連にしても、相続関係にしても、ネット上には情報があふれています。
そんな中にちっぽけな記事をひとつ投入したところで誰にも気づかれず、読まれもしないよねえ、と思ってしまうのです。
ネット上の情報に「それは違うぞ!」と思うことは多いのですけど。
世界の片隅で反論してみたところで・・・
あ、愚痴になってしまいました。。。
気を取り直して、今日は遺言のお話です。
タイトルにも書いたとおり、遺言は「単独行為」です。
遺言は「一人の人間の一個の意思表示」で成立します。
遺言は「契約」ではありません。
契約は「二個以上の意思表示の合致」で成立します。
簡単に言うと「複数の当事者間の約束」が「契約」なのです。
手元の法律用語辞典の「遺言」の項目の記述がとてもわかりやすいので一部を引用します。
【遺言は相手方のない単独行為であり、いつでも撤回でき、遺言者の死亡前には何ら法律上の権利を生じさせない。】
難しい点は何もありません。
民法をきちんと勉強したことのある人にとっては常識です。
こんな基本的なことをわざわざ取り上げる気になったのには理由があって。
このごろネット上で見かける言説の中に「紛争を避けるために、遺言を作成する際には家族とよく話し合って」といった類いのものがあります。
こういうものを読んだ人が、遺言をまるで「契約」であるかのように勘違いしてしまわないかな? と心配になってしまうのです。
自分の財産をどのように使うかは、(違法なことでなければ)生きてる間ずっと自由です。
そして、一定の方式に従えば死後のことも(一定の範囲で)決めておくことが出来るようになっている、それが遺言です。
紛争が起きないように、という配慮をして内容を決めるのはもちろんOK。
でも「不公平に見えるかもしれないけれど、もしかしたら紛争になるかもしれないけれど、それでも自分はこうしたい!」ということならば、それを実現できるのが遺言なのです。
極端な不公平に対しては「遺留分」の制度などで事後的に修正が図られる場合もあって、全てが遺言どおりになるとは限らないのですが、それでも「遺言の内容は遺言する人の自由」が基本であることに変わりはありません。
もしも家族と相談して遺言を作成したとしても、遺言者の気が変わったら撤回は自由です。
契約ではありませんから、遺言する人は「約束を守る義務」などないのです。
気が変われば新しく遺言を作成すればよいだけのこと。
遺言者が遺言書を書き直そうとする気配を察して「家はオレにくれるって約束したじゃないか。契約違反だ!」と騒いだりするのはお門違い。
遺言者が亡くなったあとに新しい遺言書が発見されて、「相談して作成したはずの遺言と内容が違う! 話が違う! 約束したのに!」と騒ぐのもお門違い。
そもそも遺言は「契約(約束)」ではなく「単独行為」なのですから。
いろいろと書きましたけれど、「紛争を避けるために家族と相談を」がダメだと言っているワケではないのです。
まずは遺言というものの法的性格をきちんと理解していただきたいのです。
その上で遺言者自身が様々な配慮をするならば問題はありません。
けれど、遺言の法的性格を理解しないまま周囲の人間が遺言作成に介入すると、逆におかしな事態を招きかねないなあ、ということ。
最後にもう一度。
【遺言は相手方のない単独行為であり、いつでも撤回でき、遺言者の死亡前には何ら法律上の権利を生じさせない。】
これを肝に銘じていただければ、と思います。
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