こんにちは。司法書士の片岡和子です。
年末ですねえ。
事務所玄関の手ぬぐい飾りも迎春モードです。
今年もいろいろなことを書いてきました。
法律問題について書くときには「わかりやすく」を最優先にして来たつもり。
うまく書けた記事もあるでしょうし、イマイチだったものもあるかなあ、です。
結局のところは「読んで下さった方の役に立ったかどうか」に尽きるのだと思います。
「わかりやすかった!」という感想をいただくと、とても嬉しいです。
ただ・・・
「わかりやすい」ことがどんな場面でも「良い」ことなのかというと、そう単純ではない、ということも言えるのです。
今年書いたものの中に、 超入門⑫ 相続放棄をしたらお墓はどうなる? という記事があります。
タイトルそのままの内容で、とてもわかりやすく書けていると思ってます。
きちんと民法の条文も挙げて説明してあります。
この記事などは「わかりやすい」=「良い」と言えるでしょう。
一方・・・
2年ほど前に書いた記事で、 兄弟姉妹の配偶者が相続に口を出す。 という記事があります。
今でもよく読まれていて、似たような状況で困っている人が多いのだなあ、と思います。
「相続問題で当事者の夫や妻が外野から口を出すことは、『そもそも自分に権利がないのに発言する』ということであって、おかしなことなのだ」といった事が書いてあります。
読んでいただければ、「なるほどねえ」と納得してくださる方が多いと思います。
わかりやすく書けていると思います。
でも・・・あまり役に立たないだろうなあ、とも思うのです。
相続問題でモメている状況に対処するためのヒント、補助線のようなものとしては使えるかもしれません。
でも、実際に口出しをして来る兄嫁などに対して
「あなたの言っていることは間違っている、なぜならば、そもそもあなたには権利がないのであって・・・」
などと言ったら余計にこじれてしまいそうですね。
役に立たないどころか、害になってしまいます。
何故そんなことになってしまうかというと、実はこの記事の「わかりやすさ」には私の価値観が混じっているのですね。
いろいろな考え方がある中の、一つの考え方に立って書いたものなのです。
世の中は法律だけで動いているワケではないのを承知の上で、法律実務家の立場から、「なるほどね」と思ってもらえるように工夫して書いたものなのです。
ですから、この「わかりやすさ」に騙されちゃいけない、とも言えるのです。
(自分で書いときながら何てこと言ってるんだ! ですが。)
最初に挙げた「相続放棄とお墓」の例は、「正解のある」問題です。
ですから、「わかりやすさ」は「説明が上手いかどうか」の問題です。
後の「相続問題への口出し」は「正解のない」問題です。
ここでの「わかりやすさ」は「相手を納得させる技術」のようなものです。
わかりやすく納得させられて、それが自分の役に立つのならば、ヒントとして、補助線として使えばいい。
でも、それをそのまま相手にぶつけても効かないだろうなあ、ということなのです。
「わかりやすさ」には、効く場面、効かない場面がある。
自分が今直面している問題は「正解のある」ものなのか、「正解のない」ものなのか。
「わかりやすさ」がストレートに「効く」場面なのか、そうではないのか。
そこの見極めが重要なんだろうなあ、と思います。
今年最後の記事は、わかったようなわからないような、「わかりにくい」記事になってしまいましたね。
一年の最後くらいは、それもいいでしょ、ということでお許しくださいませ。
みなさま、どうぞよい新年をお迎えください♪
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