こんにちは。世田谷区の司法書士です。
最寄駅は東急大井町線の尾山台または九品仏。
九品仏(くほんぶつ)駅は、自由が丘のお隣の駅。
ちょっとマイナーだけど、実は便利なところです。
お気軽にご相談においでくださいね。
さて、テレビを見てると、芸能人のカップルが
「婚姻届を提出しました!」
と報告してること、ありますよね。
あれ、以前はよく「入籍しました」って言われてたの、記憶にありますか?
もしかしたら、今でも「入籍」っていう言葉を使う人もいるのかも、ですが。
現在の制度では、婚姻届を提出すると、その夫婦について新しい戸籍が作られることになっています。
なので、「入籍」というのは正確な言い方ではないんです。
(実は、「入籍」になる場合もあるのですが、ここでは触れないことにします。)
私の若かったころ(20年とか30年前のことです)、「結婚」という言葉と「入籍」という言葉はとても強く結びついていたように思います。
テレビで女性芸能人が嬉しそうに
「入籍しました」
と言っている様子は、どこか誇らしげで、女性として幸せです、というオーラが漂っていたように思います。
結婚が決まった女性が
「苗字が変わることになったんです・・・。」
なんて表現をすることもありましたっけ。
逆に、
「結婚したら新しい戸籍が作られるんだから、入籍というのはおかしい、今は女性が家に入る時代じゃない、入籍します、じゃなくて結婚します、というべき!」
という意見をいう人もいました。
私はというと、
「籍を入れたんです」とにこやかに話す気持ちもわかるし、
「男女は平等!」という意見にも共感できるし、
という、ゆる~い態度でした。
(そういうことをあまり深く考えていなかった、ということです。)
ただ、そのころの私は、「籍を入れる」とか「入籍する」というのを、単に教訓のようなもの、「かくあるべし」という教えのようなものだと思っていました。
「結婚は、相手の家に入るという覚悟で。」みたいな。
実は、そうではなかったんですね。
昔、「入籍」の制度は本当にあったんです。
私は、法律の勉強をして、戸籍のことを多少知るようになってはじめて、「入籍」というのが昔は本当にあったのだと知りました。
「昔」というのは、具体的には旧民法の時代、わかりやすく言うと、太平洋戦争終戦以前の古い民法の時代です。
実際に「家」の制度があったんですね。
そのころの戸籍を見ると「戸主」という記載があります。
「家督相続」なんていう記載もあります。
私は、「家督を継いで戸主になる」っていうのは、単なる慣習上そんな言い方をするのだと思ってたのですが、実際に法律上の制度で、戸籍にも記載されていたんですね。
そして、戸主を筆頭とする大家族が、一つの同じ戸籍に記載されていたんです。
たとえば、私が自分の勉強のために取得した古い戸籍では、「戸主」として私のひいおじいちゃんの名前が載ってます。
「三男」としておじいちゃんの名前、そして「婦」として、おばあちゃんの名前が載ってます。
おばあちゃんはこの家の三男と結婚して、この家の戸籍に「入籍」し、「婦」として記載されたんですね。
おばあちゃんは戸主の妻ではなく、三男の妻なので「婦」と記載されたわけです。
この戸籍には、私の父の名前も「孫」として記載されています。
こんな具合なので、古い世代の人たち、たとえば私の父などにとっては、結婚することを「相手の家に入ること」だと考えるのは自然なことだったのでしょう。
そして、戦後もその名残で「入籍する」という表現が使われ続けたのですね。
古い戸籍を眺めていると、おもしろいことがたくさんあります。
また機会があったら、いろいろとお話しますね。
【2019年1月27日追記】
現在は「入籍=結婚」ではない、ということについて、簡潔に、わかりやすく記事を書きました。
結婚が「入籍」になる場合についても解説してあります。
ぜひ読んでみてください。→ こちら
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